朝、5時半。薄暗いリビングで、私は一人、録画しておいたドラマの再生ボタンを押す。 これが、私がようやく手に入れた「私だけの聖域」。
ちょっと前の私は、夜、子供を寝かしつけた後に這い起きて、溜まった家事ややり残した仕事を片付けようと思っていた。けれど、現実は小さな体温に触れているうちに、気づけば自分も夢の中。深夜2時にハッと目が覚めた時に「また今日も、自分の時間を持てないまま一日が終わってしまった」と、暗闇の中で静かにショックを受けていた。
そもそも、世の中で推奨される「効率的なTODOリスト」なんて、作る余裕すらなかった。リストを書いたところで、その通りに子どもが動いてくるとも思えない。
「早くして」「時間がないよ」 そう思う言葉が、自分の心さえも削り取っていく。
働くママにとっての時間管理とは、単なるスケジュール帳の整理ではない。
それは、ままならない日常の中で、どうにかして「自分という人間」を失わずに済むための、切実なサバイバル。
「完璧」を諦め、夜を手放した先に
ある日から、私は諦めることにした。夜、家事や趣味を楽しむことを。子供と一緒に、夜の9時に眠る。その代わり、誰にも邪魔されない早朝に、自分の時間をスライドさせたのだ。
早起きして自分の準備をすべて終わらせ、身なりを整える。自分の趣味の時間を取り戻したとき、ようやく少しだけ心に余裕ができた。 まぁ、寝室の扉を開ければ、そこには相変わらずの光景が広がっている。
ツンと立った寝ぐせ。のんびりと、驚くほどマイペースにパジャマのままぼーっと座っている我が子。私は準備ができているのに、目の前の小さな住人は、まだ夢の続きにいる。 少し前の私なら、ここで焦っていただろう。 「ママはもう準備できてるんだよ!」「なんでそんなに遅いの!」
けれど、朝に自分の時間を10分でもできると、不思議なことに、その寝ぐせを眺めて「面白いなぁと思う気持ち」が生まれる。思い通りにならない子供を「正そう」とするのをやめて、「この子が、自分ではこうとする頑張りを見守ろう」と、一歩引いて見ることができるようになった。
時間管理とは、自分を「もてなす」こと
私たちが本当に欲しかったのは、1分1秒を切り詰めて家事を終わらせる「技術」ではない。 「今、私は自分のための時間がある」という、ささやかな実感ではないだろうか。
TODOリストを埋めることよりも、朝のコーヒーを片手に、録画した恋愛ドラマで涙しながら一口ずつ喉を通す。 子供が何かをなくしたと泣きわめく前に、自然と家の中を見渡せること。 そんな、効率とは真逆にある「無駄な1分」こそが、私たちを時間から解放してくれる。
時間管理とは、自分を追い込むためのムチではない。 自分を大切に扱い、自分を「もてなす」ための作法なのだ。 完璧なママになれなくても、朝の寝ぐせを笑えるくらいの余裕があれば、それで十分。
時計の針は止まらない。けれど、その刻まれるリズムに自分の心を合わせる必要はない。 私たちは私たちの、子供は子供の、不器用で凸凹なリズムを、そのまま愛していけばいい。

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